スペイン大人留学

人生のターニングポイントと言われる不惑の年40歳。一度はあきらめたスペイン留学を志す。

崖っぷち、大人留学スタート!

2010年11月。ふじこ40歳――。

 

東京国際映画祭という大イベントを終了したばかりの私は、魂が抜けた放心状態から少し回復しつつあった。2か月近く最終電車で帰宅する仕事漬けの日々だったが、終了後は、朝は定刻に家を出て、残務整理をして定時に帰宅。たまに仲間と飲んだり映画を観たり。放電状態から充電状態へスイッチングした単調な毎日だ。願っていたはずの開放的な時間。だが、疑問が。

 

「このまま、この生活でいいのだろうか?」

 

映画好きがこうじて日本国内にある2つの国際映画祭でお世話になり、週末や夏休み・冬休みを返上して13年間この仕事に打ち込んできた。家族からは「また仕事でしょ」と諦められ、温泉や外食など家族行事からも疎遠になっていた。大好きで天職と思っていた仕事だったが、振り返ると100メートルの全力疾走を13年間続けていたような気もしてくる。心身共に疲労感で一杯だった。

 

■再び留学に目覚める

 

そして自問自答。

 

自問:「もし80歳まで生きられると仮定したら、ターニングポイントである40歳からどんな40年を過ごしたい?」

 

自答:「20代で知力、財力が無いことで断念した夢を、40代になったからこそ実現させる。様々な国を訪れて悔いのない人生を謳歌する」

 

幼少から世界を旅することを夢み、20代でアメリカの大学に留学。必修科目でスペイン語を専攻したことが契機となり、その言葉の持つリズムや発音の魅力にどっぷりと浸かっていった。当然のことながら(いつしかスペイン語圏に留学したい)という願望が湧き上がるが、大学の授業料と生活費をやりくりするのが精一杯だった経済状況や、奨学金に落ちたこともあり、当時はあえなく断念。その悔いはいつでも頭の片隅にあり、時々思い出していた。

 

それから20年後。「そんなもやもや、吹き飛ばしてやる!」と急に思い立って、スペイン語を猛勉強した。でも「勉強して何になる?」と再び疑問が……。

 

そんなある日、日本における洋画作品の公開状況の資料を見ていたら、ひときわ目に引いたのが、スペイン映画の公開状況の悪さだった。2008年に日本で公開されたスペイン映画はたったの4本。巨匠ペドロ・アルモドバル監督や『アザーズ』のアレハンドロ・アメナーバル監督作品以外はほとんど公開に至らず。ちなみにスペインで公開された日本映画は19本だ。

 

当時、年間の製作本数は、日本は450本程度、それに対してスペインは380本程度。このデータからも両国の公開状況のバランスの悪さは見て取れる。(もしかしたら、スペインにはお宝映画があるかも)と、長年映画祭の仕事で培った気持ちが騒ぎだした。どうせスペイン留学を考えるなら、「埋もれた秀作を見つけ出して日本に紹介したい。そのためにスペイン映画を研究する」という目的で、助成金なり奨学金を申請してみてはどうかというアイデアも浮かんだ。

 

「でも、研究して何になる?」自問自答はまだ続く。

 

「キャリアアップ? 自己満足? このまま映画祭の仕事を続ける方が無難じゃない? 家のローンはどうするの?(などなど続く)」

 

もちろん、40歳を過ぎた留学のリスクが高いことは百も承知。特に私はフリーで扶養してくれる家族もいない。リスクは倍増する。日本を半年間不在にし、帰国後の活動はどうなるのか。拠点を日本だけに限定しない‘ノマド生活’にも憧れる。だが、果たしてその状態で自分の望む仕事はできるのだろうか?

 

でも、頭と心のハードディスクが一杯の状態で過ごし続けることには、どうしても我慢できなかったのだ。初期設定なりメモリーの増設をしない限り、限界がきている自分がそこにはいた。自己責任、家族への責任、社会人としての責任。リスクは低くないかもしれないが、もっと攻めの姿勢で仕事に向き合いたいと思った。

 

一か八か、のるかそるか。私はスペイン留学という勝負に‘のる’ことにした。

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