「スペイン式 ピソ狂騒曲」 ~その2~
■重い腰をようやく上げた女家主
ピソの玄関を開けると残り香ならぬ、怒りの雰囲気が残っていた。
リビングルームへ行くと、このピソの家主が、コーヒーを飲みながら電話をしている。
グレーのパンツスーツを身につけ、背の高い彼女には似合っていた。
「ようやく、就活するのね」と思う。
彼女は私がこのピソに移り住んで、3日後に仕事をクビになっていた。彼女曰く、女性であること、独身、40歳過ぎという年齢に対する差別的な見方により、スペインではこのような雇用整理が珍しくないらしい。
私がちょうどスペインへ訪れた頃の失業率は25%。その内の50%が20代の若者だとニュースでは頻繁に報じられていた。EU内では、GDP第4位を誇るスペインだが、ここまで経済が脆弱しているとは。私は目の前でその現実を目撃することになったのだ。
私からの家賃収入を当てにしていたのか、失業しても一日中家でゴロゴロとテレビを見ていた彼女。その姿に、「早く仕事を探せばいいのに。働かざる者食うべからず」と心の中でつぶやく私。
ちなみに、彼女はパイロットの男性と昨夏に離婚していた。
おまけに、収入源の日本人留学生(私)がピソを出ると言い出す始末。
「この人は厄年かしら?」と思うほど、不運が降りかかっているように見える。
それでも、私がこのピソから出ると告げたとたんに就活をし始めるとは、何ともわかりやすい人でもある。
電話の長話は終わりそうもない。しょうがないのでメモを渡した。今日出て行くこと、スーツケースを物置から部屋へ持ってきてほしい旨を書き記す。入居時にスーツケースを彼女が管理する物置に預けたのは失策だった。「人質」を取られているようなもので、ずっと気がかりだった。
■ペドロ・アルモドバル映画に匹敵する狂女
彼女は電話を終え、私のスーツケースを持って部屋に入ってきた。ひとまず人質は解放されたと安心。
そのかわりに、彼女は新たな不安の種を残していった。手書きの書類だ。そこには、今回の退去に関する一切の責任が私にあると書いてある。しかも退去費用として400ユーロを払えと! スペイン語がおぼつかない私でも、わが身に降りかからんとする‘悪い知らせ’は直感で読み取れる。
私はすぐさま台所にいる彼女に、冷静にこう伝えた。
「契約書も交わしていないのだから、この書類にサインはできない」
私の言葉に彼女は眉をつり上げ、顔つきを変えた。
「スペインでは退去1ヶ月前に申告して出て行くのが普通。それを怠ったのだから、1ヶ月分は払って当然なのよ」
人が下手に出ればつけ上がって!スペイン語が出来ない弱者だと思って!
瞬間湯沸かし器のごとく、私の頭の中で何かが発火し、脳が沸騰しはじめた。
スペイン語で反論できないもどかしさから、反射的に英語でまくし立てた。
今考えれば、日本語の、それも関西弁でまくし立てたほうが迫力はあったかもしれない。
「契約書は交わしてないから400ユーロを払う義務もない!私の世話人もそう言っている!」
彼女は英語がほとんどわからないので、キョトンとしていた。
そして、スペイン語で私の10倍の勢いでまくし立て返された。早口な言葉の嵐で何を言っているのかわからない。が、ペドロ・アルモドバル映画に登場する狂女ばりの形相だ。頭を沸騰させながらも、この状況を客観視して彼女を分析している自分がいる。
“Qué cara tienes! (何て図々しいの!)”
彼女は片手で自分の頬を軽く叩くジェスチャーをした。
スペイン人は大げさなくらい、身体全体を使ったジェスチャーで表現する。
この日の午前中の授業で、私の大好きなホアン先生から「スペイン人が頻繁に使うジェスチャー」について学んだばかりだった。「自分の頬を叩く」=「図々しいヤツめ」。
こんなにすぐに役立つとは!
「私はサインもしないし、400ユーロも払わない。私の世話人にもう一度確認する必要がある」
言い争っても事が収まらないので、私はそう言い切って自分の部屋へ戻った――。
私は携帯電話を持っていなかったため、スカイプで世話人に連絡を取ることにした。彼女は某大使館の職員だ。そのため日中は激務だと聞いていた。案の定、連絡が取れなかった。スペイン語の先生・ウリオルに電話しても留守だ。こんな時に限って、頼りにしていた2人と連絡が取れない。
その時、国際交流基金マドリード事務所の職員Sさんからメールが届いた。3月に開催する「震災特集」の連絡だった。仕事を通じて親しくなったSさんとはバルで飲んだり、毎日連絡を取り合ったりするような、互いに蜜月状態を楽しんでいた。彼女にSOSメールを送ることも思いついたが、迷ったあげく止めることにした。直接関係のない事態に巻き込みたくなかったのだ。
今思えば、ここでメールを書いていたら、少しは状況が好転していたかもしれない・・・。
■自由剥奪
頼りにしていた人たちへ、今の状況をメールしようとしていたら、突然インターネットへアクセスできなくなった。今さっきまで使えていたのに。
もしかしたら、家主が無線LAN を切ったのでは? 疑心暗鬼のまま忍び足でルーター(無線の親機)のあるリビングを覗くと、悪い予感が見事的中、狂女がルーター付近でケーブルをいじっている。
そう、私が外部と連絡を取れないようにするため、回線を切っていたのだ!!
携帯電話を持たず、インターネットのみが外部と連絡できる唯一のツールであることを、狂女は知っていたのだ。
敵の攻撃はまだ続く。極めつけは、ノック無しで突然私の部屋に踏み込み、机の上にあった家の鍵を奪い取っていった。
ここまでする?
もしかしたら「書類にサインして400ユーロ払わないと、この家から一歩も出さないわよ」ということ? えっ、これって軟禁状態って言うんじゃないの?
ニュースや映画で見たことがある、何日も部屋から出してもらえず、食事も与えられずのあれなの?
怒りの感情を通りこして、沸々と恐怖心が湧きあがってきた。狂女は恐女に変身を遂げたのだ。
「落ち着け、落ち着け私・・・」と自分に言い聞かせる。
そして、この状態からどう脱出するか冷静に考えた。
- 部屋の窓から飛び降りる(3階)
- 窓から叫んで、助けを求める
- 署名して400ユーロを払って、さっさと出る
恐女が次の一手を打ってくる前に、一刻も早くここを出なくては。
「3」を選んだ。不本意な書類にサインして400ユーロを失う悔しさよりも命が大事だった。
全ての支度を終え、2つのスーツケースを引きずり、書名した書類と400ユーロを無言で恐女に手渡した。
“Abre la puerta!(玄関の戸を開けてよ!)”
恐女は一瞬驚いた表情を見せたが、くわえタバコのまま同じく無言で戸を開けた。
エレベータに乗り込むと、恐女が怒りにまかせて戸を閉める「バタン!」という音が響いた。
エレベータ内で、私は安堵と開放感に満たされた。
闘いは終わったのだ――。
しかし、そんな時間は長くは続かない。
外に出た途端、新たな不安に駆られた。すでに夜7時を廻り、辺りは真っ暗になっていた。1月のマドリードは日の入りが早い。ピソに戻ったのが夕方4時頃だったから、あっという間に3時間が経過していたのか…。
地下鉄での移動を考えたが、メトロ近くに駐車している車のタイヤが毎日のように強奪されていたのを思い出す。ここは、お金を多少かけても安全第一、タクシーを使うことにした。
~ ~ ~
マドリードの寒空の中、スーツケースを引きずりながらホステルへ向かった。
「スペイン式 ピソ狂騒曲」 ~その3~ へ続く