スペイン大人留学

人生のターニングポイントと言われる不惑の年40歳。一度はあきらめたスペイン留学を志す。

「スペイン式 ピソ狂騒曲」 ~その1~

 「眠れない…」

 

真っ暗な部屋の天井を見つめ、いつになったら眠りにつけるのか、翌日の授業を心配しながら安眠を願うのだった。

 

時差ボケは時差がある国に行けば誰しもが直面する。私の場合、4~5日は時差ボケを引きずる。それを軽減するため、飛行機に搭乗する24時間前は飲酒を控え、現地到着が夕方か夜になる便を選ぶようにしている。それでも旅の昂揚感やお酒の誘惑に負けて、機内で飲んでしまうのだが…。

 

今回のスペイン留学は、ビザの都合で、大学が始まる1日前の入国となった。そのため、隣国フランスのパリで3日間過ごして、少しでも時差ボケを解消させる対策を施していた。それにもかかわらず、スペイン入りから10日を経過しても時差ボケは続いていた。

 

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朝8時のマドリード

■ホームシックなの!?

 2月から始まる正規授業に備えて、私は1ヶ月間のスペイン語語学研修を受けていた。そこで出会ったマドリード出身のホアン先生(男性)は、授業が始まる前に必ずこの常套句を生徒に投げる。

 

「最近の出来事でシェアしたいことや質問はあるかい?なんならジョークでもいいよ」

 

そこでアメリカ出身の女子留学生リッキーが、アメリカ人訛りのスペイン語でつぶやく。

「私、ホームシックみたい…」

 

ホアン先生の顔が急にシリアスになる。

「なぜだい?」

 

リッキー:

「最近、笑わなくなったの。いつもアメリカの家族のことを考えているし」

 

ホアン先生:

「リッキー、ホームシックは辛いと思うが、君は人生のなかですごく貴重な体験をしているんだ。それを胸に秘めるんだよ」

 

そんな感じで会話は続いていたが、いつの間にか2人の姿は私の視界からフェードアウトしていった。そして、ふと思う。

 

(私はホームシックにかかっているのかしら?)

これまで経験したことのない不眠状態、これはホームシック? いやいや、ただの時差ボケだろう。でも、食欲が無くなってきているし、白髪も増えているような気が…。

 

ホームシックが原因かは今も定かではないが、確かなことは身体が不調を訴えていたこと。2人の会話はそれに気づくきっかけになった。

 

■この人、信用できる?

 スペインでは大きめのピソ(アパート)を借りて、3~4人でシェアをする人が多い。元締めになって、家賃収入で生計を立てる人もいるくらいだ。日本でもこの住居スタイルは「シェアハウス」や「ソーシャルアパートメント」と呼ばれ、最近では若者を中心に人気があるようだ。

 

到着直後の滞在先は、44歳のスペイン人女性宅だった。私の身元引受人からその家を紹介されたのは、映画祭準備の仕事が多忙な時期だった。所在地をgoogleなどで検索し、しっかりと吟味することなく選んだ家だった。「見つかってラッキー!」程度の考えで決めてしまったのである。実はその判断が、予想もしなかったとんでもない展開を招くことに……。

 

私が不審に思い始めたのは滞在3日目からだ。実は私、スペイン入りしたマドリード空港で1ヶ月分の生活費を盗まれてしまっていた。そんなわけですぐに滞在費を払えないことを伝えた時の彼女の表情は、今も鮮明に思い出すことができる。

 

盗難に気づいてすぐに奨学金を支給する団体には連絡を取っていた。緊急案件として送金の手続きをしてもらっていたので、家賃の支払いを待ってもらうのはせいぜい1週間程度だ。そのことをシンプルなスペイン語で伝える。

 

ところが、「えっ?!」と彼女の表情と態度が一変。私の言葉がわからないの?心配しているの?それとも怒っているの? と、戸惑う。実際、彼女はただただ怒っていたのだ。

 

異国の地で大金(私には)を盗まれ、意気消沈しているのに、「大変だったわね」の一言もない。むしろ大いに腹を立てている。言葉がわからないから彼女の表情や身振りから解読したのだが、非常に不愉快に思っているようだ。その日から夕食を共にする度に家賃を催促された。日本では感じたことがないたぐいのストレスがこみ上げてきた。

 

さらに悪いことが重なる。滞在先から大学まで、地下鉄を2つ乗り継いで往復3時間もかかるのだ。乗り物に酔いやすい私は毎日ぐったりしていた。スペイン語に囲まれた新生活に、このダブルパンチは効いた。

 

眠れない、食べれない、気持ち悪い。

身体が痩せ細っていくような感覚のなか、精神的にも弱くなっている気がした。

 

そんな、生気を失いつつあった私に、知人がマドリードを訪れているという吉報が届く。東京でスペイン語を教えてくれたウリオル先生が、スペイン語教授法を学ぶために私と同じ大学を訪れたのだ。私が通学していた大学はスペイン語教授法では有名。設立者はスペイン語文法を書におこした偉人だ。

 

個人的な話もできる打ち解けた仲だったので、さっそく会いに行って現状について相談した。すると、「契約書を交わしていないなら、そこを出るのは問題無いよ。ピソを変えるのはスペインではよくあることだ。大学の近くにすぐに引越した方がいい」

 

そうなのかという安心感と同時に、「本当かなー?」という疑問も拭いきれない。そこで私の世話人にも同じことを尋ねてみた。「(ウリオル先生の助言の通り)問題ないよ」。ほっとした。

 

2人がそう言うなら善は急げ、だ。その日の夕方、思い切って家主にビソを出る意志を伝えることにした。

 

案の定、彼女は鬼の形相に。(おそらく)「約束が違う!」といったようなスペイン語を交えて怒鳴り散らした。そのまま互いの部屋に分かれ、気まずい雰囲気に。その夜もまた、眠れず……。

 

私は中途半端な状況が一番嫌いだ。なので、手紙を書くことにした。今の金銭的な事情や体調がすぐれないこと、そして感謝の気持ちも。そうしたことを書き並べ、翌朝、そっとキッチンに残して学校へ向かった。

 

その日、大学のカフェテリアで再度ウリオル先生に会い、昨夜の出来事を含めて相談した。

 

「君がその家にいたくなかったら、すぐに出た方がいいよ。僕がいる安宿、紹介しようか? なんなら授業が終わったら、僕も一緒に君のピソに行って、荷物を引き上げようか?」

 

「うー、ありがとうウリオル(感涙)。でも私もいい大人だし、荷物の運び出しは自分でできるから大丈夫。安宿の予約だけ手伝ってくれー」

 

独立心旺盛な私。彼の優しい申し出を断って、再び‘戦場’へと戻るのでした。

 

「スペイン式 ピソ狂騒曲」 ~その2 へ続く――